僕の頭の片隅にあるインド。その一つの時代の終焉と。

フィリピン株ブログになっていますが基本的には僕の日記ですから好きなこと書いていいじゃない!ということで、少し旅の思い出を頭に浮かぶままに回顧してみたいと思います。というのも去る2月6日にインドでは著名な歌手であるLata Mangeshkarさんが逝去されたからです。その哀悼と言っては何ですけども。

僕のオススメは古いですがThoda Resham Lagta Hai/Lata Mangeshkarです。

そもそもインドに詳しい日本人でない限り彼女の名前を知る人は少ないと思います。僕はインドに詳しいわけでもなく、インド映画が好きなわけでもありません。ただ夜行バスの中で流れる彼女の甲高い甘い歌声は今でも耳に残っているのです。彼女の歌声を聞く度に、遠い異国の名前も知らない町の、煌々と裸電球に照らされた休憩所で食事を摂り、喉を潤した日々が蘇ってきます。旅先で出会った人たちとは二度と袖振り合うこともないでしょう。井伏鱒二の「サヨナラだけが人生だ」という言葉は日本に帰り久しくなった僕の心に響きます。名も知らぬ者が出会い、笑顔で語らい、そして「またね」と去っていく。二度と会う保証なんて一つもない。人生とは一体何なのでしょうか。

インドを語る前に触れておきたいのがパキスタンです。僕の世界一周コースは敢えて東周りにしました。つまりインドの次にパキスタンではなく、パキスタンからインドという経験をしました。今でこそ別々の国になっていますが、もともとはバングラディシュと共に一つの国だったのは僕が改めて述べるまでもないでしょう。

混沌のパキスタンと桃源郷

パキスタンに関してマスメディアではネガティブな報道が多いのが実状です。僕はマスメディアを鵜呑みで信じられるほど純粋な心を持ち合わせていないので、どうしてもネガティブな報道がある国には本当かどうか確かめに行ってみたい思いに駆られます。

例えば北朝鮮は日本では印象の悪い報道が多いですが、金正恩の肉声を聞いたことがある人は極めて少ないと思います。というか日本のニュースではほぼ100%と言っていいほど翻訳を通した吹き替えですよね?アメリカの大統領なら大統領の肉声と共に翻訳のテロップがあったりするんですが金正恩に関しては、ほぼ吹き替えか無音編集されています。言い換えれば本当に金正恩が報道されているようなことを言ったのか確かめようがないわけです。だから北朝鮮にもいつか行ってみたいと思っています。僕がシリアで出会った北朝鮮の人たちは普通に現代的な生活をしていて頻繁に北朝鮮にも帰っているという話でした。キルギスでも北朝鮮に行ったことがある人に多く出会いました。旧共産圏の国はビザがなくても北朝鮮に行けるとのことで、なんとも世界の不思議に触れた感覚がしました。日本に居ながら知る北朝鮮はどこか偏っているんじゃないかなと思っています。僕の友人は中国の旅行会社を介して北朝鮮に観光へ行きましたが自由行動は許されないとは言っていました。興味深いことに、ある日本のメーカーの飲料が普通にスーパーで売っていたり、ファミマが北朝鮮にあったりしたわけです。今はファミマではなくなったそうですが。日本では中外旅行社が北朝鮮ツアーを実施しています。

…脱線しました。

実はパキスタンからインドへは行かずにアフガニスタンへ行き、そこから中国へ入りイベットからネパール、インドという旅程を考えていました。あまり知られていませんがアフガニスタンと中国は小さいながらも国境を有しています。そのため帝国の墓場と呼ばれるアフガニスタンとは何かと仲良くやっておかないとならないという中国の事情があります。中国はアフガニスタン依りの意見をしているのはアメリカなどに対抗するだけではなく、地政学的にもアフガニスタン依りの発言をせざるを得ないわけです。

さてさて当時アフガニスタンのVISAを取得するためには日本大使館の発行するレターなどが必要で、普通に旅行者として取得するのは困難を極める。…という話を僕は聞いていました。そこで念のためにペシャワールのアフガニスタン領事館に「アフガニスタンってツーリストビザ出してくれる?日本大使館のレターもないんだけど?」と尋ねたところ「レターがなくてもツーリストビザを出してあげるよ!」と快諾してくれました。ビザが取れると分かれば次はペシャワールのバスターミナルへ言ってカブール行きのバスのチケットが買えるかを調査しなければなりません。

ペシャワールのバスチケット売り場周辺の様子

チケットオフィスでカブール行きのバスについて聞くと毎日出ているとのことでした。毎日バスがカブールまで出ているという事実は人の交流が盛んである=それなりの治安は一応保たれているという判断ができます。しかし場所が場所だけに受付のおじさんに敢えて「無事に着いてるの?」と聞いてみました。すると前日に周辺を仕切る部族がバスを止めて通行料を取ろうとしたんだけど、運転手がそれを拒絶したので射殺された。でも大体は無事に着いてるよ!とのことでした。これを聞いて日和りました(笑)カブール行きは諦めてチトラール行きのバスチケット(乗り合いジープでしたが)を買いカラーシュ族の住む村に引きこもりました。

こんな乗り合いジープに乗ってチトラールへ

ちなみに写真に写っている全員がジープに乗っています。一列5人くらい座ります。こんな状況で12時間以上かけてカラーシュ族の村への足がかりとなるチトラールに着きました。

カラーシュ族の村へ引きこもれば何でもマサラ(香辛料)の味に飽きてきたので文化が変われば食文化も変わってマサラから逃れられる。その一心で長距離移動を耐えました。面倒な入域許可も頑張って申請して取得しました。人は窮地に陥ればなんとかなるものです。

パキスタンも大体はインドと同じ文化圏ですからマサラを良く使います。何を食べてもマサラの味がします。朝食から晩ごはんまでマサラです。はじめのうちは美味しかったんですけど、もう匂いを嗅ぐだけで食欲を失うようになっていました。ということでカラーシュ族の村に逃げ込んだわけです。

カラーシュ族の女性は今でも伝統的な服を着て生活しています。現代は肖像権など面倒な時代になりましたから後ろ姿だけの写真を載せておこうと思います。

カラーシュ族の女性

こんな素敵な刺繍が施された服を着て、貝殻で装飾された帽子を被って生活をしています。柴を取りにこの格好で森の中へも出かけますし、これで畑仕事だってしています。とにかく御洒落で陽気な部族でした。一生住むならどこがいいかと聞かれれば僕はカラーシュ族の村と答えます。何がそう言わせるのか分かりませんが、あらゆるものが完璧だったと思います。自然の美しさ、人、食べ物、水など何をとっても欠点がない。美しい調和があったというのが正確な形容になるかもしれません。

しかしビザの関係もあるので出国しなければなりません。マサラの呪いも解けてきたので泣く泣くカラーシュ族の村をあとにしてチトラールへ戻り、インド寄りの適当な町までのバスチケットを買って、名も分からぬ町に着いたら適当に宿を探してインドへの歩みを進めました。

チトラールから名も知らぬ町への風景

マサラの呪縛 ーインドー

一筆書きでの世界一周を目指していたのでインドは避けることができず、意を決してインドへ。

ニューデリーの喧騒

写真のギャップがすごいですね(笑)

人を寄せ付けない美しさを湛える自然から、むき出しの人の欲望と感情が顕になったニューデリー。

当然のことですが人口密度がすごい。階段の踊り場にも人がギュウギュウになってる。そんなところで何してるんだよっていつも思っていました。階段の踊り場にもどこにも人が居ますから常に人の目線を感じて落ち着かない。そして何より何を食べてもマサラの味がする。マクドナルドへ逃げればマサラから逃げられるんじゃないかと思いマクドナルドへ。しかし何を狂ったのかマハラジャバーガーなるご当地マックを頼んだわけです。ご当地の時点で察すれば良かったのですがパンズにまでマサラが練り込んである…。パティもマサラの味がする。パキスタンで既にマサラに飽きていた僕にとっては苦痛以外の何ものでもありませんでした。中華料理に逃げれば救われるかと思ってもマサラの味がする…。

夜のチャイ店にて

それでもインドには不思議な魅力があって、それなりに長居はしました。町から町へ移動するバスではインドの独特な音楽が喧しく流れ、それは夜行バスでもお構いなし。そんな時に聞いた曲の一つが冒頭のThoda Resham Lagta Hai/Lata Mangeshkarだったわけです。夢にまで流れる曲だったので今聞くとインドが鮮明に思い出されます。

バナラシの路地

マサラの味に我慢できなくなった僕はネパールへ逃げる作戦を決行しますが、やっぱりバスの中はインド音楽が四六時中流れています。途中に寄った食事休憩もマサラの味がする。しかしネパールへ行けばマサラから開放されるとの一心でバスに揺られて国境までたどり着いたのでした。

インドとネパールの国境

ネパールはマサラから開放された極楽で何を食べても美味しい!のですがネパールは実は何度か行っていますので割愛します。

残念ながらインドへ戻る時がやってきます。しかしまた同じ文化圏に戻ればマサラの洗礼を受けるわけですから、どうにか少しでもマサラの洗礼を受けないように東に抜けてダージリン、そしてシッキムとブータンを目指しました。

ダージリン鉄道の駅から見る町並み

ダージリンに抜けるバスの中はネパール音楽の独特なリズムが響いていましたが、インドへ入る頃にはインド音楽の旋律へ。ただダージリンへ抜けたことは正解でした。まずチベット文化圏が重なるのでマサラを避けることが出来ました。また何よりダージリンで飲んだファーストフラッシュ(新茶)が強烈でした。ふらっと入った紅茶専門店で「ダージリンって言っても普通の紅茶と何が違うのか分からないし」と言ったら店主が「本物のダージリンティーをせっかくだから飲ませてやる」と言って、砂糖もなにも入れないで紅茶を淹れてくれました。これが本当に驚きの味で、砂糖を入れなくても自然に甘く、そしてフルーティーで度肝を抜かれました。まさに新しい世界を垣間見た瞬間でした。今でもダージリンで飲んだファーストフラッシュより美味しい紅茶を飲んだことがありません。たまにダージリンのファーストフラッシュに恋い焦がれて日本で茶葉を買うんですけど全然違う。どれも味が古い。ダージリンでファーストフラッシュを飲んだことがある人なら「味が古い」という表現を分かってくれると思います。フレッシュさが全然ない。どんなに高級なダージリン、ファーストフラッシュと書いてあっても味が古い。もう一度ダージリンに戻って飲みに行きたい。それほど価値があると僕は思います。ダージリン鉄道は世界遺産なので、そういうのが好きな人はそういうのも楽しめると思います。

どうでもいいですけどダージリンは湿度が高く、夜洗に濯して室内に干しておくと、翌朝には水が絞れるという不思議な体験をしました。

インドと日本の狭間で

Lata Mangeshkarさんが逝去された哀悼の意味で何か倩と綴ってきました。インドはハマる人と二度と行きたくない人とで分かれるといいます。でも結局は行く場所や出会う人次第なんじゃないのかって言ってしまえば本末転倒かもしれませんが、僕はマサラを除けばインドは好きな部類に入ります。あれだけ夜行バスで嫌になるほど聞いたインド音楽も今や懐かしい思い出となりました。

Lata Mangeshkarさんは僕がインドで一番はじめに名前を聞いた歌手でした。それほど強烈で、独自性がって、魅力があったのです。彼女の逝去は僕の中で一つの時代の終焉を告げているような思いがします。人の命は短い。しかしその人が作り出す芸術の命は長い。Lata Mangeshkarさんの精神はこれからもインドでは生き続けていくでしょう。極東の島国から哀悼の意を表します。

僕は今よりもインターネットが不自由な時代に世界一周をしているので、Facebook(あったかもしれない)もなければTwitter(あったかもしれない)もない、まさにソーシャルメディアのない時代でしたから情報を集めるにしても人と人とのリアルのコミュニケーションをしなければなりませんでした。だからバスの中で聞いたLata Mangeshkarさんの歌は「これ誰の歌?」と隣の人に聞かなければなりませんでした。Googleに聞くにしてもヒントがなければ検索のしようもありませんしね。そんな時に日本人だと知ると「日本はすごい技術のある国だ」という話を良く耳にしました。もちろん現代でも「日本はいい国だ」と耳にすることはありますが「技術のある国」というように何か特定のことを褒められることは少なくなったような気がします。「日本はいい国だ」というのは相手の国への敬意を払う常套句で、技術のような何か特定のものを冠する言葉が日本からなくなったように思います。日本は海外からの爆買に経済の回復の夢を見て技術立国から観光立国へと舵を切りました。本当に僕はそれで良かったのか今でも疑問に思います。この観光資源の少ない日本で観光立国へと舵を切る意味とは一体なんなのでしょうか。

インドつながりということで、こんな曲を紹介しておきたいと思います。1955年のインド映画の音楽です。

歌詞の一部に次のようなフレーズがあります。

Mera juta hai jaapaani, ye patalun ingalistaani.
Sar pe laal topi rusi, phir bhi dil hai hindustaani.

翻訳すると次のようなことを歌っています。

僕の靴は日本製

僕のスーツはイギリス製

僕の赤い帽子はロシア製

それでも僕の心はインドだ

こうやって歌の中で日本の製品が言及されるほど日本の技術は高品質で羨望の的だったわけです。それが今やGAFAのような企業はなく経済も30年以上も停滞したままです。そしてこれから良くなる兆しが全くありません。本当に今のままで日本はいいのか。そんなことを思うばかりです。

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この記事を書いた人
株式投資とか不動産投資とか、あと旅行とか大好物です。これまで58カ国と10ヶ所くらいの微妙な地域を訪れました。英語の勉強もしていますが、なかなか上達しないのに色々な言語に目移りしがち。なぜかフィリピン株中心のブログになってますが、基本的には僕のしがない日記です。
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