7月18日にAyala Corp.の配当金額が公開されました(ソース)。僕が保有しているのは優先株ではなく普通株なので、優先株と比較して3/5くらいの配当金となっています。配当金額は1株あたり3.806ペソで、2022年12月22日の配当が1株あたり3.46ペソだったので、
100x(3.806-3.46)/3.46=approx. 12%
凡そ12%の増配という計算になります。
現在のところの利回りは以下のようになっています。
3.806×2/615×100=approx. 1.23%
(3.806ペソの配当を2回とし7/18の終値615ペソで計算)
うーん、渋いですね(笑)もちろん配当を出すということは、本来会社が自社投資に使えるお金が減るという考え方をすれば配当を頻繁に出すべきじゃないとか、いろいろ言われているのは理解しますが、ねぇ。いやいや買ったのは自分ですし、それくらい承知していたんですけど、買ってから右肩下がりで損益は赤色をしています。所詮は評価損ですしAyalaが600ペソを切るようであれば買うべきだと思っているので悲観はしていませんが、もうちょっと頑張って欲しいなぁ~というのが本音ですね。
ちなみに去年は通常の配当に加えてACENの株式を配当として渡していますし、なんか美味しいニュースくらい一つは欲しいものです。いずれにしてもAyalaは配当銘柄ではないので今後に期待をしたいと思っています。
しばしば毎月配当型の投資信託とか酷く評価が悪いじゃないですか?税金の面でも手数料の面でも配当を出さない投資信託とかETFの方がパフォーマンスがいいとかどうのこうの。あの手の記事を読む度に思うんですけど、その良いパフォーマンスが得られるまで自分が健康で死なないことが大前提になってると思うんですよね。仮に5年くらいに野垂れ死ぬとして、配当を出さない投資信託やETFを保有して、それをチマチマと削って生活費に充てていくって相当なストレスだと思いますよ。自分が所有する資産が減り、どんどん心配が積み重なっていくわけですよ。もしかしたら足りないかもしれない。せっかく貯めたものがどんどん減っていく。そのストレスって相当なものだと思いますよ。ただでさえ評価損が仮に100万円の損失を指していたら狼狽売りしたりギャーギャー喚くタイプの人が、そんな積み立ててきたものを削っていく生活に堪えられるとは思いません。死ぬ3ヶ月前くらいには最大級のストレスを抱えて苦しむと思います。そんで1ヶ月前くらいには吹っ切れるかもしれませんね。そもそも自分の寿命がいつかなんて確実に分かる人なんていません。だから貯めてきたものを削っていく生活というのは、ジワジワと真綿で首を絞められるような苦しみを味わうような気がしてなりません。そんなことになるくらいだったら、毎月配当をもらって安心のうちに死ねる方が幸せだと思います。それに来年死んでしまったら、せっかく積み立ててきた投資信託やETFは結局のところ何の役にも立たずに相続されるだけです。ほなら毎月配当をもらっておいて毎日をハッピーに生きて死ぬ方が僕は幸せやないん?と思います。長期のパフォーマンスばかりみて、自分が限り有る命しか持たないこと、明日にでも死ぬ蓋然性はゼロではないということを度外視しているのではないでしょうか。私たちは確実に死ぬんですよ。その確実の死は不確実に訪れるという不条理を伴ってね。そんな不条理を考慮すれば、毎月配当型の投資信託とか全然ありだと思うんですけど、なんで人は他人さまの投資スタイルにマウントを取って賢い賢くないと宣うのでしょうかね。不自由なく思いのままに生活するために投資をしているのに、誰かを見下げて生活するくらいストレスを抱えているなら、投資以前にすべきことがあるんじゃないかな~と思う今日このごろです。