毎年8月最後の月曜日はNational Heroes Day (英雄の日、あるいは国民英雄の日)という祝日が設定されています。そのためフィリピン株もお休みなわけです。ざっくりとしていて何の日なのか分からないので、歴史も踏まえて記しておきたいと思います。
Official Gazette (フィリピン官報) によるとNational Heroes Dayはアメリカ植民地時代に始まったといいます。1931年10月28日にフィリピンの独立を目指すリーダーを中心としたフィリピン議会は毎年8月の最終日曜日をNational Heroes Dayとし、祝日として制定しました。ただし英雄を祝うこと自体は1921年11月30日にBonifacio Day (ボニファシオ・デー)に同時に行われていました。日本がフィリピンを占領していた間も11月30日は英雄の日として公式に祝われており、1942年3月20日には大統領令として11月30日が国民英雄の日と定められています。
しかし1952年にエルピディオ・キリノ大統領が8月の最終日曜日に国民英雄の日を戻すことになります。変更した理由について大統領は、独立の英雄であるボニファシオの名を残すためと述べています。つまり英雄と一括りに扱えないほどボニファシオはフィリピン人にとって特別な存在であるというわけですね。
1987年にコラソン・アキノ大統領は祝日リストを規定しますが、国民英雄の日は8月の最終日曜日に設定されています。ここで注目したいのは、このリストが規定された時に、祝日などは「法律、命令、公布によって変更することができる (modified by law, order or proclamation)」と記していることです。
祝日リストが規定されてから20年後の2007年7月24日、グロリア・アロヨ大統領は国民英雄の日を8月の最終月曜日に移動させました。祝日が移動された背景にはアロヨ大統領の政策である「ホリデー・エコノミクス」があります。簡単に言えば祝日を月曜日か金曜日に移動させて週末を長くすることで国内旅行などを促進して経済発展を望むというものです。
そんなこんなで紆余曲折はありましたが、国民英雄の日は8月の最終月曜日となったわけです。
フィリピンの官報によると、国民英雄の日に祝うべき英雄の名前は明記されていないそうです。その理由として、たった一人のフィリピン人でもなく、また数人のフィリピン人でもなく、故郷や国家、そして正義と自由のために自らの命を顧みずに立ち向かった全てのフィリピン人の勇気を称えるためだそうです。
フィリピンの歴史はセブの英雄ラプラプを初め、まさに植民地支配からの独立だと言えると思っています。スペインの植民地から独立に貢献したホセ・リサールやアンドレス・ボニファシオは、それぞれ個別の祝日が設けられています。
ホセ・リサールはラ・リガ・フィリピナを結成して非暴力的に独立運動を起こしていましたが、結局スペイン官憲に徹底的に弾圧され、結果としてホセ・リサールは処刑されてしまいます。アンドレス・ボニファシオはラ・リガ・フィリピナの方針では独立革命が成されないと考え、カティプナンを結成します。この独立革命はアジア史で初めての独立革命であるという意味で重要な位置を占めています。しかしカティプナンの夢はアメリカの裏切りなどにより叶わず、フィリピンの独立が果たされるのは1946年の第2次世界大戦が終わるまで待たなければなりませんでした。
フィリピンの独立の要はもちろんホセ・リサールやアンドレス・ボニファシオであることは間違いないのですが、彼ら2人でフィリピンが独立できたわけではありません。彼らの考えに賛同し、共に独立のために立ち上がった名も残らなかった英雄もたくさんいる。そのような英雄たちを祝うための祝日が「国民英雄の日」なのです。
8月の最終月曜日は「英雄の日」でフィリピン株がお休みです。そんなこんなで英雄の日について少し整理してみました。日本とフィリピンとの関係は意外に古く、記録としては豊臣秀吉の時代まで遡ることができます。また戦国時代のキリシタン大名で知られる高山右近は徳川家康のキリシタン国外追放令によってマニラに渡っています。そのような関係の中で今回は敢えて触れませんでしたが、英雄には旧日本軍に処刑された人たちも少なくありません。
せっかく外国株に投資しているのですから、その国の文化や歴史にも触れて欲しいと思います。それは必ず投資の場面でもいつか役に立つ日が来るはずですから。